短大の卒業式
2002年3月20日卒業式です。朝8時から着付けに出かけ、短大卒業式恒例、はかまを着せてもらってから卒業式に出席しました。式は極めて厳然で、起立、礼の言葉に学生も一糸乱れぬ動きをしている状態です。
そんな中、高校時代からのあたしの親愛なる友人Kは、壇上に上がりました。修了証書授与の代表として、学長先生より表彰状を受け取るためです。その様子を私はデジカメで取りまくっていましたが、後から見てみると遠すぎたせいかどれが誰だかKなのかさっぱりわかりませんでした。あとから聞くところによると、彼女は壇上から降りる際、振り返って卒業生の方を向くわけですが、そこで考えていたのが「一同を見回し、何かを言おうとするが、ニヤリとしてやめる」という動きをやってのけたかったようです。しかしこれは遠目だと分かりにくいということで却下だったそうです。ただし「一同を見回す」は軽くやっていました。一番最初に名前を呼ばれた事もあってほんの一瞬ですけど、他の受賞者に比べて壇上滞在時間は長かったはずです。細けーよ。
彼女の中には数々の思惑があったようですが、結果的には極々平凡なものと終わりました。それでもなかなかどうして私の胸は張り裂けんばかりだったわけですが。
ところが、その後の学長先生のありがた〜いお話。長い・・・長すぎる。頭ではためになる役に立つ話とわかっていても、聞いている方はかなりつらい。。。。。彼は、昔体験した太平洋戦争がどねーたらとかおっしゃっていました。その話は17分にも及び私も退屈させていただきました。もう言うなれば卒業式自体が彼のためだったと、そういったら過言ですが。
式終わってからは一人一人、先生からの卒業証書授与です。卒業生や保護者の方々などなど、数百人以上をバックにして、写真を撮ろうかと思っていたのですが、一挙手一投足にまで先生方の目が光っているこの式では、そんなことをすれば即退場という雰囲気だったので止めておきました。多分どこからともなく警備員が現れて、両脇を抱えていくことでしょう。しかし、表彰状を受け取り、握手。これはやりました。別に大したことではないのですが、それまでの受賞者は誰も握手をしていなかったので、ある意味開拓者と言え、フロンティア精神溢れた行動だったはずです。ただこのあとの受賞者も握手をし(明らかにパクられた感じ)その後は先生の方から握手を求めることもあったので、この勇気ある行動はその中に埋もれていってしまいました。歴史の中に消えていってしまったのです。しかし考えていただきたい。何事も最初にやった人は凄いんだと
と、今日の日記はここで終わらない。その後はあるホテルで盛大な卒業(立食)パーティが開かれました。参加者が最高人数に達した今回、2年間クラスメイトだったのに全く喋ったことがなかったような人ともすっかり打ち解けることができました。しかし打ち解けても今日が学生生活最後の日だとは、何とも皮肉なもんです。一応就職しても連絡取れるように番号交換なんかはしましたが。パーティ代一万円を以前学校から強制的にぶんどられたので元はとってやろうと必死で食べようと、私の目は次第に獲物を狙うオオカミのそれへと変わっていきました。正にウルフ高橋背番号24といった感じです。。それとも私があからさまに獲物を狙うハイエナの眼をしていたという人もいるかもしれません、。もう警察密着24時から出演以来のオファーがきてもおかしくない感じでした。が、これがはかまで行ったもんですから、おなかできつくきつくしめられているので少し食べただけでお腹が痛くてきつくて思うように動けません。なんだかあかずきんちゃんに出てくる、最後にお腹に石を詰められ、川へ落ちて死んでいった狼の心境です。くぅ〜くやじい。頭にきたのでカクテルを一杯ほど飲んでやったらそれから後の記憶があまりありません。もしかしてカクテル一杯で酔ったのかしら。
でも、そういえば私を含めてうちの学科の人は卒業だというのに一人も涙を流した人はいないんですけど、気丈なんでしょうか。きっとあれでしょう、見えないところで号泣しているはずです。そう私も……おっと。
そんな中、高校時代からのあたしの親愛なる友人Kは、壇上に上がりました。修了証書授与の代表として、学長先生より表彰状を受け取るためです。その様子を私はデジカメで取りまくっていましたが、後から見てみると遠すぎたせいかどれが誰だかKなのかさっぱりわかりませんでした。あとから聞くところによると、彼女は壇上から降りる際、振り返って卒業生の方を向くわけですが、そこで考えていたのが「一同を見回し、何かを言おうとするが、ニヤリとしてやめる」という動きをやってのけたかったようです。しかしこれは遠目だと分かりにくいということで却下だったそうです。ただし「一同を見回す」は軽くやっていました。一番最初に名前を呼ばれた事もあってほんの一瞬ですけど、他の受賞者に比べて壇上滞在時間は長かったはずです。細けーよ。
彼女の中には数々の思惑があったようですが、結果的には極々平凡なものと終わりました。それでもなかなかどうして私の胸は張り裂けんばかりだったわけですが。
ところが、その後の学長先生のありがた〜いお話。長い・・・長すぎる。頭ではためになる役に立つ話とわかっていても、聞いている方はかなりつらい。。。。。彼は、昔体験した太平洋戦争がどねーたらとかおっしゃっていました。その話は17分にも及び私も退屈させていただきました。もう言うなれば卒業式自体が彼のためだったと、そういったら過言ですが。
式終わってからは一人一人、先生からの卒業証書授与です。卒業生や保護者の方々などなど、数百人以上をバックにして、写真を撮ろうかと思っていたのですが、一挙手一投足にまで先生方の目が光っているこの式では、そんなことをすれば即退場という雰囲気だったので止めておきました。多分どこからともなく警備員が現れて、両脇を抱えていくことでしょう。しかし、表彰状を受け取り、握手。これはやりました。別に大したことではないのですが、それまでの受賞者は誰も握手をしていなかったので、ある意味開拓者と言え、フロンティア精神溢れた行動だったはずです。ただこのあとの受賞者も握手をし(明らかにパクられた感じ)その後は先生の方から握手を求めることもあったので、この勇気ある行動はその中に埋もれていってしまいました。歴史の中に消えていってしまったのです。しかし考えていただきたい。何事も最初にやった人は凄いんだと
と、今日の日記はここで終わらない。その後はあるホテルで盛大な卒業(立食)パーティが開かれました。参加者が最高人数に達した今回、2年間クラスメイトだったのに全く喋ったことがなかったような人ともすっかり打ち解けることができました。しかし打ち解けても今日が学生生活最後の日だとは、何とも皮肉なもんです。一応就職しても連絡取れるように番号交換なんかはしましたが。パーティ代一万円を以前学校から強制的にぶんどられたので元はとってやろうと必死で食べようと、私の目は次第に獲物を狙うオオカミのそれへと変わっていきました。正にウルフ高橋背番号24といった感じです。。それとも私があからさまに獲物を狙うハイエナの眼をしていたという人もいるかもしれません、。もう警察密着24時から出演以来のオファーがきてもおかしくない感じでした。が、これがはかまで行ったもんですから、おなかできつくきつくしめられているので少し食べただけでお腹が痛くてきつくて思うように動けません。なんだかあかずきんちゃんに出てくる、最後にお腹に石を詰められ、川へ落ちて死んでいった狼の心境です。くぅ〜くやじい。頭にきたのでカクテルを一杯ほど飲んでやったらそれから後の記憶があまりありません。もしかしてカクテル一杯で酔ったのかしら。
でも、そういえば私を含めてうちの学科の人は卒業だというのに一人も涙を流した人はいないんですけど、気丈なんでしょうか。きっとあれでしょう、見えないところで号泣しているはずです。そう私も……おっと。
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